・「アスキーアートの法と慣習」―アスキーアートの権利関係についてのエントリー(別館「犬が目覚めた日」)

     ・「連載物の保管庫」―上記の物をまとめたもの

2ちゃんは乱闘討論

 単刀直入に。

 自分はMizunotori(kazenotori)氏が書く『ウィンドバード::Recreation - 図で見るブログと2chの違い(とネットイナゴの話)』において、「2的空間」での議論・論争がどのような形を取るかの説明に納得がいかない。
 Mizunotori氏は2ちゃんねるでの議論を「観客席へのアピール」「2的空間での審判はROMの人たちに委ねられています。」と説明している。ここのサイトの定義で言えば、「討論」にあたるだろうか。
 しかし、このサイトにも「ほとんどのネット討論では審判がいません」と書かれているように、2ちゃんねるの議論においてROMの人たちを審判とする考えが広まっているとは思えない。







理由

 自分が2的空間においてROMの人を審判とする考えが広まっていると思えないのは、ROMの人を審判とする空間では勝ったという満足を得ることが出来ないからである。

 何故そう言えるかというと、ROMの人が審判結果を書き込んだ時点でその人は審判ではなくなり、論争に参加していることになるからである。例えば、「今までロムってた。今回の論争は○○が勝ちだな。●●は負けだ」などのような意見を言えば、元ROM人はそう思う理由を聞かれる。そして、そう思う理由を答えてしまうと、ROM人は●●側に○○側の人間として認識され、論争の相手となってしまう。2的空間では、審判は闘技場に降りなければ意見を言えない。だが、闘技場に降りて意見を言えば剣闘士になってしまう。
 
 初めから審判を決めていれば、審判による勝ち負けは可能かもしれない。しかし、匿名の世界では審判だと思っていた人物が初めから○○側や●●側である可能性も出てくる。もし、本当に中立な審判者だったとしても、そのような審判を勤めるという契約を結んでいない状態では、信じたくても信じられないのが実情ではないか。

 このような状況では、人は審判による自分の勝ち負けを知ることは出来ない。よって、勝ったという満足を得ることも出来ない。それを打ち破るには Mizunotori氏が言うのとは反対に「対戦相手を言い負かす」しか方法はない。だから、「2的空間での審判はROMの人たちに委ねられています。」なんていうことにはならない。(議論に勝ち負けなんてない、という話は別問題)



では2的空間での論争はどのような形なのか。

 ここではそもそも観客席というものはない。さらに言えば、決まった対戦相手がいるわけでもない。また、剣闘士だけがいるわけでもない。つまり、誰かが何かの議題を提案すると、賛成反対の意見を持つ人が集まり乱闘状態で討論する(多くの場合、自由に議論には参加することが出来る)。決まった相手だけを攻める人もいるだろう。自分と反対の意見を述べる人全員を相手にする人もいるだろう。反論というより罵倒をする人、煽る人、独り言を言う人、意味のないAAを貼る人も出てくる。
 言うなればある種のカオス状態だが、経験上、剣闘士がある程度の多数を占めるので、議論が完璧に破綻することは無い。



「炎上」については

 自分は、「炎上」というのはこれがブログでおこったものだと考える。その意味で、Mizunotori氏の言う「文化衝突」という表現はぴったりだ。加えて、私は「炎上」では2的空間での討論と次のような違いが出てくると思う。
 一つは、2的空間より提案者としてのブログ運営者が目立つため、乱闘というよりブログ運営者に対しての攻撃が多くなる(もちろん、ブログ運営者以外の人たちが対立して議論するということもある。逆に、2的空間でも提案者が目立てば同じことがおこる)。
 二つ目に、多くのブログではブログ管理者が書いた記事・エントリーに対して「コメント」という形を取っている。そのため、漫画家の描いた作品に葉書でコメント・感想を出すのと同じように、その記事に対する単なる感想としてのコメントが2的空間より多く出る。


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  by syakai21 | 2006-08-26 00:54 | 論評

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