犬が眠った日
2008-08-18T21:28:14+09:00
syakai21
wanada0○gmail.com
Excite Blog
このブログを移転します。
http://wanwan99.exblog.jp/6318374/
2007-09-10T20:50:00+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-09-10T20:50:48+09:00
syakai21
未分類
お手数ですが、リンクしていただいている方は、変更をお願いします。移動してもスパムされるのは嫌なので、全記事のコメントとトラックバックを閉じました。ご了承ください。
移動の理由は、エキサイトに比べてはてはの方が拡張性が高いこと、はてな記法での方が文章を書きやすくなったことです。
上にリンクしてある、別館の「犬が目覚めた日」と「連載物の書庫 」のリンクはそのままです。
どうか、これからもよろしくお願いします。
では、失礼しました。]]>
「再UP」の非倫理性
http://wanwan99.exblog.jp/6309185/
2007-09-09T15:51:00+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-09-09T15:51:47+09:00
syakai21
雑記
このエントリーに関しては、もっとまとめてから発表したいと思っていました。だけど、とにかく気になったことは発表した方がいい気もして、発表することにしました。
以前からそのつもりだったんですが、こちらのブログでは思いつき的な文書を中心に載せたいと思います。
再UPの非倫理性
ニコニコ動画に、下の動画が再UPされた。
ニコニコ動画(RC)‐アイドルマスター エージェント夜を往く(M@STER VERSION) 真 再UP版
※消えていた動画はこれで良かったようで一安心。2chのキャラスレで情報を集めたものの、少し自信がなかったのです。
※あとお詫びも一つ。キャラスレで、作者様の「再うpはご自由に」というコメントがあったのですが、それをここに載せるのを失念していました。ニコ動を見ている方すべてが2ch(キャラスレ等)を見ているわけでは無いんですよね・・再うpまでが早かったため、不快に感じた方もいらっしゃったと思います。申し訳ありませんでした。最後に作者様に、この場をお借りして再うpの報告とさせて頂ます。ありがとうございました。
コメント
この動画は、アイドルマスターMADの中でも有名だったものである。それが作者によって消され、別の人によって再UPされた。
コメントで書かれている作者のコメントとは、以下のものである。
566 名前:名無したんはエロカワイイ[sage] 投稿日:2007/09/03(月) 04:13:41 ID:CxXlfjc80
自分語りのチラ裏スルー推奨
>>550の言ってる事は半分正解。
β時代からγ初期の職人が少ない時期に借り物動画でニコマスを盛り上げつつ楽しんでた。
それからMPとMWを買い揃えていく過程であの動画は完成した。発売1ヶ月前からMP版聞きまくって編集してた。
ダンサーズは借り物動画だったから。その中でのサングラス捨ては満足の行く演出だったと思う。
そして7月に箱○を買った。そしてのめり込んでいった。
自分の中で借り物&愛の少ない作品をどうしようか迷ってた。
それはそれで楽しんでくれてる人がいたからね。削除するのもどうかなぁと。
そして誕生祭。ニコでの祭りの拠点になった事が少し誇らしかったしCA職人が来てくれて嬉しかった。
自分の中でも真と千早の二人が好きで止まらないのでケーキ買ってきて晒してみたりした。
でも宴は終わったんだ。主従関係がニコマスからアイマスに逆転した今、未練はほんの少ししかなかった。
真をあの動画を経由して愛でいてくれた人には大変申し訳ないと思った。だから真スレでは説明責任があると思いレスしている。
今は普通にアイマスを楽しみつつ自前素材で作り直ししたいなぁと思っている。
最後にこんな気持ち悪い長文読んでくれてありがとう。これからも一緒に真を愛でていければと思う。
572 名前:名無したんはエロカワイイ[sage] 投稿日:2007/09/03(月) 05:20:23 ID:CxXlfjc80
>>570
そう言って貰えると俺としても作ったかいがあったと満足できる。ありがとう。
個人的にニコマスと距離をとりたくなったってのもあるかな?再うpとかはやりたい人がいれば自由にやってくれてかまわないよ。
人によっては記念にうpした変換前ファイルを持っているだろうし。
じゃぁこの話は終わり!それより誕生日記念グッズの話でもしようぜ!
誕生日グッズを買うのは初めてなんだがあれって複数セット買えたりするの?
【レーシング】菊地真 17やーりぃ【応援グッズ】
ここで疑問に思うのが、再UPした人が作者から許可をもらっていることをわざわざ述べている点である。文意から察するに、作者からの許可がなければ、この動画は再UPされなかっただろう。なぜ、再UPするのに作者の許可がいるのだろうか。
「作者に著作権があるから」というのが一つの答えかもしれない。だが、それを言ったら「アイドルマスター」の版権元(おそらくバンダイ)にも許可を仰ぐべきだろう。そのような記述はないし、常識的に考えて、おそらく許可を取ってはいないだろう。
このような現象は、他の場所でも見受けられる。例えば、あるAAキャラクターを使ったゲームがある(迷惑がかかるかもしれないので、名前は書かない)。このゲームの作者は、ゲームをUPした後、一定時間たつとそのゲームを消すのが常である。そして、その作品を勝手に再UPすることは、周りの人々にとってタブーとなっている。もちろん、作者の許可があれば再UPできるが。これも、もとのAAキャラクターの作者に許可を取った形跡は無い。
一方で、P2Pには同人物を含めて勝手に漫画などが再UPされているし、ニコニコ動画にも多くの動画が再UP(転載と言ったほうがいいかもしれないが)されている。
矛盾する二つの倫理が、どうして時には同じ場所で共存しているのか。
追記
AAキャラクターの場合は、元のAAキャラクターがパブリックドメインみたいなものであるということがあるとは思う。]]>
「オープンソース文化」には、コミュニティが必要という仮説。+クリエイティブ・コモンズ
http://wanwan99.exblog.jp/5960644/
2007-07-24T02:11:00+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-07-24T02:11:18+09:00
syakai21
雑記
主張はタイトルそのままです。ここで言う「オープンソース文化」は、誰かが発表した作品を元に別の人が作品を作り上げ、それをまた別の人が…、という意味で使いました。「コミュニティ」は、人の集まりであると同時に、人が集まる場という意味です。#1
n_euler666氏が述べたニコニコ動画は、ある種のコミュニティであるような気がします。言葉で説明するのが難しいのですが、その他の動画サイトはどうもそんな気がしない。ただ、個々別々の人々が同じ場所で発表しているという感じがします。#2
実際のオープンソースソフトウェア作成の現場でも、コミュニティが中心になって進めています。(井田昌之・進藤美希『オープンソースがなぜビジネスになるのか』MYCOM新書)そして、私が研究対象としている「アスキーアート」も、2chという掲示板コミュニティの中で生まれ、成長していった「オープンソース文化」です。
これらのことから、「オープンソース文化」というのはコミュニティの中でこそ育つものだという仮説思いつきました。
実はこのことは、クリエイティブ・コモンズへの提言でもあります。つまり、ただ人々が自分の作品にクリエイィブ・コモンズ・ライセンスをつけていても、何かしらのコミュニティがなければ、「オープンソース文化」は育たないのではないか、という意見です。
見ていて、どうもクリエイティブ・コモンズが盛り上がらないと思いを抱いているのですが、このようなことが原因の一つなのでは、ないでしょうか。
#1 ちゃんとした論にするときは、二つとも定義もしっかり決めたいと思います。
#2 ここも、もっと煮詰める必要があります。
追記
(7/24)自分が主に2chにいるので、「2chという掲示板コミュニティの中で生まれ」と書いてしまいました。実際は2ch以前からアスキーアートは存在し、育っています。例えば、パソコン通信の中で生まれたこれなど→The Beach : Character Animation Menu
・これらのことに関して何か参考になる資料があれば、どうか教えてください。お願いします。
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研究日誌2
http://wanwan99.exblog.jp/5433377/
2007-05-21T23:28:17+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-05-21T23:28:17+09:00
syakai21
メモ
場合によっては、アスキーアートを外すことも考える必要があるかも。]]>
リンク感謝とブログを書く理由
http://wanwan99.exblog.jp/5417816/
2007-05-19T23:32:00+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-05-19T23:32:02+09:00
syakai21
2ちゃんねる
軍事関係の記事を書いた覚えは無かったので、少し戸惑いました。探してみると、「2ちゃんねるの著作権等の問題を考察しているブログ」と書かれていました。
まず軍事板常見問題さん、リンクありがとうございます。最近、「自分がブログを書く理由は何だ?」と悩んでおり、ブログを欠く気力も少し衰えていました。
ですが、見てくれている人はいるんだなと実感しました。嬉しい気分でいっぱいです。
自分のためにブログを書くか、他者のためにブログを書くかという議論が時々あります。私としては、自分のために書いていても、他者からの反応は嬉しいものです。私のブログを書く理由を挙げるなら、「他者からの反応を得るのを目的としており、それは自分のためである」という感じです。
とりとめが無さ過ぎる文章ですが、ブログをやっていて久しぶりによかったと思いました。
#アスキーアートの権利に関しては、犬が目覚めた日で主に書いています。最近、エキサイトの方とはてなの方をどうするか悩み中です。 ]]>
社会科学における対照実験。
http://wanwan99.exblog.jp/5390143/
2007-05-16T02:24:00+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-05-16T02:24:51+09:00
syakai21
メモ
今日、ゼミにおいて若者論の話が出ました。私のゼミは、代表者がレポートを発表して、それに対して皆が意見を述べるという形を取っます。その中で、今回発表した方のテーマの一部に若者論が入っていたんです。
その議論の中であるデータの話になりました。それは、大学生に自由回答式でアンケートをとった結果、初対面の人とのコミュニケーションが苦手という特長が出たというものです。
最初発表を聞いているうちは、「そうなのかー」と無批判(母数は何人か?調査方法はどうだったのか?という疑問はでましたが)に受け止めていました。回りもそんな感じでした。
その中で先輩が、「確かに大学生に調査してこのような結果が出たんだろうけど、これは大人全般に当てはまることなんでは?」という意見を述べました。なるほど。正直、ぜんぜんそこには気が付いていなかったと反省したと同時に、昨日読んだ本のことを思い出しました。
超能力番組を10倍楽しむ本
山本 弘 / / 楽工社
スコア選択:
この本は、「と学会」で有名なSF作家の山本弘さんが書いたものです。内容は、テレビなどで放送される超能力番組のタネや嘘を暴いています。
その中で、「対照実験」という言葉が出てきます。
対照実験(たいしょうじっけん)とは、科学研究において、結果を検証するための比較対象を設定した実験。コントロール実験とも呼ばれる。条件の差による結果の差から、実験区の結果を推し量る基準となり、実験の基礎となる。
対照実験
山本さんは、科学的な検証を行うためにはこの「対象実験」が必要だと述べています。今回の若者論の話もようは「対照実験」が行われていなかったことが問題だったんだと気づきました。若者だけ調べては、それが本当に若者特有の性質なのかは分からない。今後、気をつけていこうと思います。]]>
やっぱ、画質は必要だったんだな(ニコニコ動画を見て)
http://wanwan99.exblog.jp/5337285/
2007-05-09T05:36:41+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-05-09T05:36:41+09:00
syakai21
未分類
でも、ニコニコ動画を見ると、「高画質」というのがひとつの価値を持っていることが分かる。高画質の動画が流れれば、それを誉めるコメントが必ず流れる。場合によっては、最初から最後まで高画質を誉めるコメントが続くという場合もあるw
やっぱり、画質は必要だったんだ。みんなYoutubeの画質じゃ我慢できなかったんだな。というか、かくいう俺もニコニコ動画を見るようになってYoutubeを見る機会が大分減ってしまった。
そうなると気になるのは、なんでstage6は現在でも微妙なのかだ。まあ、実際に統計を取ったわけじゃないから本当に人気がないかどうかは分からんが。そう感じているので、そういう仮定で書く。
理由の一つは、ソフトをダウンロードする必要があるからだろう。DivX web Playerというのをダウンロードしないと、stage6では動画は見えない。これが面倒だ。
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研究日誌1
http://wanwan99.exblog.jp/5007953/
2007-03-30T04:18:06+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-03-30T04:18:06+09:00
syakai21
メモ
研究の種類
事例研究
内容
アスキーアートに関する事件・出来事と通して、アスキーアートの権利に関する慣習・規範を研究する。
具体的な内容
「ギコ猫騒動」「ユンカース騒動」「ギコペ騒動」「モナー商標騒動」「AA会騒動」「ドットハック騒動」「小麦ちゃん騒動」「ドワンゴ騒動」「マイアヒ騒動」「のまネコ騒動」を事例としてあげる。
現在の著作権法が想定している作者の権利と、どのような違いがあるか。
「自由なもの」という印象があるが、それは本当か。
「フリーソフトウェア」などの、他の「自由なもの」と違いはあるのか。違いがあるのなら、何が原因か。
「自由なもの」とされるなかで、何をしてはだめなのか。
現時点の状態
「ギコ猫騒動」に対する考察は完了。「AAの権利」研究の基本となる、「権利の主体」の仕組みの仮説を書く(「AAは自由である」という基礎の部分について書く)
見やすいように、ブログだけでなくwikiに書けたものをまとめた。
これからの目標
「AAは自由」という基礎・基本以外の部分を取り上げる。具体的には、「ただし、○○はしてはだめ」などの、但し書き部分について。どのようなものがあるか、何が原因でそうなったか、他の「自由なもの」との違いは何か?
「ギコ猫騒動」以外の事例からそれらを考える。
問題点
読むべき資料(レス・ブログ記事)が多すぎる。(特にのまネコ騒動)
それにともない、本研究がおろそかになる可能性あり。
これらの事例が、AAの慣習・規範を調べるのに適切なのか?
解決策
いくつかの事例を取り上げない(時間短縮)
本研究の方を優先する
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現時点までのまとめ。
http://wanwan99.exblog.jp/5002117/
2007-03-29T17:22:32+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-03-29T17:22:32+09:00
syakai21
メモ
FrontPage - 連載物の書庫 - livedoor Wiki(ウィキ)
デザインなどは、しっぽ氏にアドバイスをもらって、結構見やすくなっていると思います。]]>
つまるとこ、AAの研究は自分の研究。(自分への気合いれ文書)
http://wanwan99.exblog.jp/4836295/
2007-03-13T03:43:00+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-03-13T03:43:41+09:00
syakai21
雑記
もう、何回も書いてることなんですが、自分はAAの慣習を調べてます。切っ掛けは、のまネコ騒動。あの騒動が切っ掛けで、AAの慣習に興味を抱くようになりました。
調べると言っても、どっかの学者が未開の部族を調べるのとは違います。どちらかと言えば、自分はその未開の部族にどっぷりと浸かってる方でした。
だからこそ、見れたものもありました。そりゃもう沢山。でも、どっぷり浸かっていたということは、自分がその慣習を形作っていた(いる)一人であり、その慣習がしみ込んでいるということです。
自分は、なぜのまネコ騒動のとき、あんな発言をしたのか? なぜ、あのように思ったのか? 結局のところ、それを解明する研究です。AAの研究は。
絶対に・・・完成させます
正直、のまネコまでいけるかどうか怪しいけど。。。でも、やる。
AAAPに対しての意見
79 :21:05/10/30 20:26:33 ID:0mfRplpc
私が黒AAかどうかを相手に確認しに行くのに反対なのは、黒AAが規制される
可能性があるからです。ドラえもんやサザエさんは黒AAであり、規制される可
能性が高いと思っています。
では、なぜ違法と認識している行動をするか。
私の理由は楽しいからです。その違法行為によって面白いものがたくさん生まれるからです。
シラケドラえもんや、tanasinn、SSスレが私は好きです。
著作権法違反かどうかを価値基準の秤とするなら、この黒AAを認める考えは間違っていると
思います。
ですが、私の基準は面白いかどうかです。もちろん、違反なので規制される覚悟はあります。
しかし、できることなら規制は避けたい。
この協会の活動によって黒AAの規制が早まったとするなら、「AAAP」はAAを保護する
団体ではなく、著作権を保護する団体であると思います。
「協会はこうあって欲しい」を語るスレ
意見としては、このときの方がしっかりしてるや]]>
著作権における親告罪、強姦罪における親告罪、のメモ
http://wanwan99.exblog.jp/4769944/
2007-03-06T16:05:00+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-03-06T16:05:33+09:00
syakai21
メモ
感情面を考えると、強姦をした人は被害者から訴えが無くても「犯罪者」「罪人」だろう。
感情面を考えると、2次的同人誌を作った人は、権利者から訴えが無かったら「犯罪者」「罪人」ではないだろう。
同じ親告罪の罪で、何がこの二つを分けるのか?
自分の考え①
強姦罪における「訴えが無い」は、強姦を許した訳ではない。警察などに状況を話す苦痛から逃れるために、あえて訴えていないだけ。
一方、著作権侵害における「訴えが無い」は、侵害を許している(場合が多い)からだ。
つまり、被害者・権利者がその行為を許しているかどうかが、「犯罪者」かそうでないかを決める。
そうすると、被害者が強姦を許している(場合があるのかは分からないが)場合は、強姦者は「犯罪者」「罪人」ではない。権利者が訴えなくても、侵害を許していない場合は「犯罪者」「罪人」である。
「侵害している人が多すぎて、訴えるのに費用がかかりすぎる」という理由を、訴えない理由として聞いたことがある。この場合には、訴えられていなくても侵害者は「犯罪者」「罪人」である。
自分の考え②
「強姦」は、それ自体悪いことである。被害者の感情如何に関わらず、悪いことである。
一方「著作権侵害」は、それ自体悪いことではない。権利者の感情如何によって、初めて悪いことになる。
だから、強姦者は訴えが無くても「犯罪者」「罪人」。侵害者は訴えがなかったら、「犯罪者」「罪人」ではない。
終わり
②は「被害者の感情如何に関わらず」の部分に無理がありそうだ。
参考文献
例えば「同人誌は著作権法に抵触している。同人誌なんかを書いている奴は犯罪行為を行っている」と考える人がいるかもしれませんが、それは間違っています。著作権侵害かどうかを決めるのは権利者だけ*1です。外部がとやかく言うのは大きなお世話というものです。
memorandum - 著作権に関する誤解
一番重要な話だけど、著作権侵害は「親告罪」という特徴を持つ。
これは著作権を侵害された人が訴えを起こさなければ刑事裁判にならない(棄却される)というもの。
噛み砕いて言えば、黙認されてる限り罪にならないよというルールがあるわけ。
ファン活動や同人活動はこの親告罪を利用して成り立っている部分が凄くある。(だから同人家に向かって罪人と言うのは間違いだね)
しっぽのブログ: ちまたで著作権と呼ばれるもののまとめ
335 名前: カメコ(取手市)[] 投稿日:2007/03/05(月) 20:54:23
>>305
著作権の侵害をしているよ
でも侵害自体は著作権を利用する上で自然に発生する当たり前の事。
それを許可するかしないかは著作権者の自由ってことだよ。
つまり、侵害の時点では犯罪じゃないんだよって言えばいいのかな。
侵害ではなく、使用でいいんだけど、文意の上ではそのように使ってるよ。
( ;^ω^)<へいわぼけ: 講談社「2次創作やめろ!!パロ同人も禁止する!!」
]]>
現時点のに著作権に対する仮説と疑問点
http://wanwan99.exblog.jp/4719034/
2007-03-01T02:49:00+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-03-01T02:49:08+09:00
syakai21
メモ
・ソフトウェアは、何故自由だったのか?何故、不自由になったのか
・所有の主体には何があるか?
の仮説とその問題点。
何故、AAイラストに対する権利は主張されるのか?そして、それが認められるのか?
前に調べたように、AAキャラクターのイラストを描いている人々は、その作品に対して権利を主張している。主張の内容は、「無断転載禁止」「二次利用禁止」が多く見られた(「商用利用禁止」も見られた)。
一方AAの場合は、このような主張は少ししか発見できなかった。さらに、そような主張をした場
合、主張をした人物は批判の的となっていた。
AAイラストの場合は、そのよう主張をしても議論にはなったが、「AA」のような批判は起きなかった。その議論が行われたのは、AA描きが集まるコミュニティスレである。(にたようなことは、AAキャラのゲームでもあった)
「『無断転載禁止』というのは、『自分が書いたと偽るな』という意味ではないか」という指摘も頂いた。確かにそれなら、AAの場合でも批判を浴びていた。だが、「自分が書いたと偽る」ことのみが嫌なら、そう書くのではないか。また、AAの場合は複製権だけでなく、「翻案権」も間違いなく認められていない。「氏名表示権」や「商用利用禁止」も微妙なラインである。
AAイラストとAAには、別の権利意識が働いていることは間違いないと思う。
その理由の仮説と仮説の問題点
イラストを書く場合は、他のイラストに依存することがほぼ無い。AAは、他のAAに依存する
程度が高い。よって、権利を主張されても構わない。
顔文字系(実際の絵をトレースしたもの。リアルなAA)や拡大AAは、他のAAに依存することがほぼ無いのでは?
イラストはAAより描くのに労力がいる。よって、権利を主張したいと思うようになる。
イラストも慣れた人は労力がかからないのでは?最近の技術インフレにより、AAにも労力がいるのでは?
イラストは、昔から権利が主張されるのが当たり前だった。AAは、昔から権利が主張されないのが当たり前だった。
それは、「AAが自由なのは、AAが自由だと決まっているからだ」と言ってるのと同じであり、意味のある答えでは無い。確かに、今の人々がAAは自由であると考えるのは、それ以前の人々がAAは自由であると考えたからだろう。だが、ここで問うべきは、その前の人(初めの人が)AAを自由であると考えるようになった原因である。AAイラストは権利を主張するようになった原因である
AAが自由なのではなく、2ちゃんねるに書き込まれたものが自由なのではないか
ソフトウェアは、何故自由だったのか?何故、不自由になったのか
ソフトウェアの著作権が認められる1980年代まで、ソフトウェアは、自由に複製され、改変され、配布されていた。ソフトウェアは共有されべきものであった。
1976年にビルゲイツが出した「ホビイストたちへの公開状」は、マイクロソフトのアルテアBASICを勝手に複製、配布していた人たちへあてた批判文・挑戦状である。だが、この手紙はホビイスト達にとって笑いの種にしかならなかった。手紙でソフトウェアの代金を払ってくれるよう求めているが、殆ど金は集まらなかった。
この光景は、現在のAAの権利を主張する人と、それに反対する人々のやり取りを思い出させる。
その理由の仮説と仮説の問題点
自由だった理由
法律ができるまで、ソフトウェアの著作権はあいまいだったから。
アメリカの著作権法は、本来は著作物を自由なものとしているから。その思想が一般的だから。
創作者の利益の二代要素として、「名誉(名声)」と「富(お金)」が考えられる。ソフトウェアが商品となるまでは、「名誉(名声)」が主要な利益であり、そのためには自由に配布、複製された方がいいから。
では、なぜインターネットで公開しているイラストに著作権が主張されるのか?
ソフトウェアは、他社の存在に依存する程度が大きいから。
不自由になった理由
ソフトウェアが「商品」になったから。「商品」となると、自由に複製できる状態のままでは、利益を出すことができないから。
所有の主体には何があるか?
著作権(共有財産)・AAを考える中で、「誰が」権利を持っているのか?という視点が必要だと思った。思いついたのは、次の4つ、「個人」「集団」「超集団」「パブリック」。
「個人」(創作者・著作者)は、現在の著作権法が原則として採用している主体である。これは、法律面だけでなく、意識の面でも一般的である。例えば、ジャスラック批判の中で、作者本人が自由に使えないということが挙げられる。これは、著作者が権利の主体であるからこそ、出る批判だと思う。また、著作権の原理と現代著作権理論によると、「著作者の権利」としの「公表権、氏名表示権、剽窃を禁じる権利」というのは、「自然法という発想以前から当然のように認められてきたもの」であるという。
「集団」は、AAで言うなんら「2ちゃんねる」や「あめぞう」、「あやしいわーるど」のことである。実際、ギコ猫騒動のときは「ギコ猫はあめぞう出身だ」「流行ったのは2chだ」などという会話がなされている。
また、『2ちゃんねるで学ぶ著作権』にある次の会話から、2chに書き込まれたものは「個人」にのものではなく、2chのものという暗黙の了解があることが分かる。
編:こういったAAって繰り返しコピペされますよね。
ひろゆき:だれかが作って、別の人がコピーしてまた貼る(書き込む)。同じスレッドだけでなく、 ほかのスレッドにも。
編:それって問題ないのですか? 他人の著作物を、別の人が複製することになります。
ひろゆき:2ちゃんねる的には、オッケーですよー。
牧野:どこかに書いてあるんですか?
ひろゆき:暗黙の了解ですけど。あまりにも当たり前すぎて書いていなかったような……。2ちゃんねるに載ることに同意して書き込みしているので、それが2ちゃんねる内の別のところに載っても文句はないでしょう、ということです。
法的な枠組みで言えば、最近言われている「フォークロア」がこれにあたる。
「超集団」というのは、何か特定の集団を超えた存在、つまり「みんな」が所有しているというという意味である。何か具体的な対象を考えているわけではなく、抽象的な観念としての「みんな」をさしている。
「AAは皆のものだ」というのがこれにあたる。また、犬が眠った日 :共有財産と公有財産―2chに金を払う日は来るのかの「共有財産」のことである。
「パブリック」というのは、パブリックドメインのことを指しており、所有の主体がいない状態のことである。「だれのものでもない」という言葉で表される。犬が眠った日 :共有財産と公有財産―2chに金を払う日は来るのかの「公有財産」のことである。
ある作品の権利意識は、この4つの要素が互いに影響しあって決まるのではないか。
仮説の問題点
ある方から受けた指摘だが、「『超集団』と『パブリック』の違いが分かりにくい」、「超集団というのは、無意識的な「集団」のことではないか」のような趣旨のことを頂いた。
その時は同意した。だが、現在のところ、後者に関しては確かにそのような人もいるだろうが、「超集団」の存在を無くすのに抵抗感を感じる。考える必要のあるところ。]]>
「赤ちゃんポスト」の問題点を整理してみる。
http://wanwan99.exblog.jp/4679382/
2007-02-24T02:58:01+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-02-24T01:15:09+09:00
syakai21
論評
最近の「赤ちゃんポスト問題」は、昨年の12月に、熊本市の慈恵病院が「赤ちゃんポスト」設置を熊本市へ申請したことから始まります。
「赤ちゃんポスト」とは、親が養育できない新生児を受け入れるシステム・装置のことです。慈恵病院では、これを「こうのとりのゆりかご」と言っています。具体的な計画では、「外壁に縦45センチ、横65センチの扉を付け、温度を36度に保った内部の医療機器に赤ちゃんを預けられるようにする。赤ちゃんが置かれると、重さでセンサーが感知し、院内にブザーで知らせる。監視カメラは付けない」そうです。
この申請を受けて、22日に厚生労働省は「現行法では明らかに違反とは言い切れない」として、設置を認めました。
厚生労働省も「親が子供を遺棄するということはあってはならないこと」とは発言し、また、一律に「赤ちゃんポスト」を認めたわけではありません。ですが、許可がおりたということで、政界を巻き込んだ問題となっているようです。
参考、引用リンク
熊本「赤ちゃんポスト」厚労省が容認の意向 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
赤ちゃんポスト誕生へ 厚労省「違法とは言えない」|子育て|教育・福祉|Sankei WEB
「赤ちゃんポスト」容認、政府内で慎重意見続出 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
日テレNEWS24
問題点は「二つの悪」の関係
「赤ちゃんポスト問題」の問題点・論点は、「二つの悪」の関係です。一つは、①子供を捨てるという悪、もう一つは、②子供が死ぬという悪です。そもそも、「赤ちゃんポスト問題」は、この二つの悪を最小にするにはどうすれば良いのか?という問題だと思います。
この二つの悪は、相互に関係しています。一つに、②の悪は①行動があって初めて起こるものである。二つ目に、一般に①より②の方が重い悪である。三つ目に、①を無くそうとすると、②が増える可能性がある。四つ目に、②を無くそうとすると、①が増える可能性があるということです。
三つ目のようになる理由は、無くそう、つまり取り締まろうとすると、子供を捨てる親は捕まらないようにするために、子供を見つかりにくい場所に捨てる可能性があるからです。そのため、子供が死ぬ確立も上がります。
4つ目のようになる理由は、子供を赤ちゃんポストに入れることが罪に問われない(このとは、記事を読んでもあまりハッキリと載っていませんでした。とりあえず、問われないと仮定しておきます)ため、子供を捨てる親が増える可能性があるからです。また、子供の命は助かるため、「子供が死ぬ」という抑止力が弱くなり、遺棄が増える可能性もあります。
関係のまとめ
今までのをまとめてみます。
「赤ちゃんポスト問題」には、二つの悪がある
①子供を捨てるという悪
②子供が死ぬという悪
「赤ちゃんポスト問題」は、この二つの悪を最小化する方法は何か?という問題である。
「子供を捨てる悪」と「子供が死ぬ悪」は次の相互関係を持っている。
②の事態になるのは、①の行為があるから
一般に、①より②の方が重い悪
①を無くそうとすると、②が増える可能性がある
②を無くそうとすると、①が増える可能性がある。
悪を認めるか、認めないか
「赤ちゃんポスト」の是非は、上の条件のもと議論されるものだと思います。
ただし、それ以外にも議論のうえで考える要素があります。それは、「赤ちゃんポスト」の場合、①の悪を許容していることです。
もちろん、慈恵病院が子供を捨てる行為を正しい、問題ないとしているわではないと思います。しかし、今まで通りのやり方(捨てた人に対する刑罰)では、①②の罰を親にかすという方法で、①②の許容を拒んできました。一方、「赤ちゃんポスト」の方は、心情的にはもちろん違うでしょうが、制度的に①を許容していることには変わりありません。
このことが、「赤ちゃんポスト」を心情的に納得させないものにしていると思います。
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デザイン
http://wanwan99.exblog.jp/4587878/
2007-02-12T22:48:00+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-02-12T22:48:34+09:00
syakai21
メモ
キャラクターは、自分が好きな渋沢さんです。
提供元さん。
AAUGの裏 | AAブログツール(?)
渋沢さん
( ,_ノ` )y━・~~~で会話するスレ@テンプレ
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なぜ、著作権と違って、特許権延長の話は聞かないのか?
http://wanwan99.exblog.jp/4525680/
2007-02-05T14:57:00+09:00
2008-08-18T21:28:14+09:00
2007-02-05T14:57:48+09:00
syakai21
論評
著作権の延長が問題となっている。具体的には、現在の「著作者の死後50年」となっているのを、「死後70年」にするのは是か非かという問題である。
もっとも、「著作権保護期間の70年延長に反対する」にもあるように、この問題自体は以前から存在していたようだ。最近のこの問題の盛り上がりは、「著作権問題を考える創作者団体協議会」が著作者の死後50年から同70年に延長するよう文化庁に要望書を提出したことや、「著作権保護機関の延長問題を考える国民会議」が出来たことがきっかけとなっていると思う。
ところで、この著作権延長の騒動を見ていく中で、一つの気になったことがある。それは、特許権を延長してくれという話は聞かないな、というものである。というのは、今回の一連の議論は、日本が「知財立国」を目指していることから始まっている。それなら、「特許権」の期間の話も出ていいはずだ。
「消費期限」と「模倣」の差
それにも関わらず、「特許権を延長しよう」や「特許権を短縮しよう」という話を聞かないのはなぜだろうか。答えとしては、「特許権を延長しなくてもいい」「特許権を短縮しなくてもいい」と多くの人が考えているからだろう。では、なぜ著作権と違い特許権はそのように考えられているのか。
とりあえず、現時点の仮説として次の二つを考えてみた。一つには、著作物と違って発明は消費期限があるから、二つ目に、発明(産業)の世界は著作物以上に「模倣」の世界であるから。それぞれをもう少し書いてみる。
まず、発明の消費期限である。身の回りを見てみれば分かると思うが、全ての発明はいずれ「時代遅れ」になる運命である。将来、iPodやiPhoneが昔の技術(特許を取っているのかどうかは知らないが)になることは避けられない。もちろん、中には20年という期間(現在の特許の期限は20年)を耐え抜くのもあるだろう。だが、そのようものは一部であると思う。つまり、それ以上権利を持っている必要がない、だから延長を望まないというものである。これに加えて、特許の場合は毎年更新料を払う必要があるのも、いらなくなった発明の権利を必要としない理由であろう。
一方、著作物の場合は消費期限というのもがなじみにくい存在である。夏目漱石の小説は今でも価値を持っているし、昔の画家の作品は現在でも高額で取引されている。「青空文庫」というのが有名になっているのは、その中に存在している作品が現在でも価値を持っているからだ。そのため、著作権の権利を「延長してくれ」という要望が多くなるのではないか。特許と違い、更新料がないのも、延長を望みやすくなる理由の一つであろう。
次に、「模倣」の話である。今回の延長問題で、「文化は模倣によってなりたっている」という言葉をよく見かける。私はこれ自体には同意する。だが多くの場合、模倣の対象となっているのは、著作権が保護する「表現」ではなく、保護しない「アイデア」の方であるとも思う。
もちろん、「アイデア」と「表現」の違いはグラデーション的であり、ハッキリと分けられない場合もある。
だが、創作活動において、ある小説の一部分を素材として(パロディとしてでなく)、自分の小説に使う、ある絵の一部分(目や口、一コマを)素材として、自分の絵に使うなどの行為(ハッキリと「表現」を使う)が一般に行われているという話は、聞いたことがない。つまり、相対的に考えて著作物の場合は「表現」の模倣をあまり必要としていないと思う。
一方、発明の場合はどうか。まず、そもそも新たな発明は以前の発明より有益(より早く、より安全に、より小さく)であることに価値がある。つまり、他の製品と違うものを作っても、それがその「他の製品」より有益でなければ意味がない。そうすると人々(特に企業)は、「より有益な発明」の模倣を望むようになる。そして、発明の場合は、技術そのものの転用が著作物より用意であろうから、著作物より模倣が重要となっているのではないだろうか。また、一社(一人)だけが「より有益な発明」を生み出せるはずもないから、それほど長い期間を要望しなのではないか。
最後に
以上のように、消費期限と模倣の程度を、著作権と比べて特許権の延長の話を聞かない仮説として考えてみた。
だが、そもそも本当に「特許権を延長しよう」という声がないと確かめた訳ではないし、模倣の部分は少し自分でも疑問点が見えてくる。そのほか、EUの70年延長の理由が、平均寿命の延長であるというような、著作権が「著作者」というものを機軸に出来上がっているという一面も関係ありそうだ(だだ、それだと「著作者」が機軸にないアメリカが70年を求めるのも変だが)。
まだ、特許権はよく知らないが、「比べることによって、物事は理解できる」のようなことも、ものの本に書いてあったので、特許権(意識)と著作権(意識)を比べるのも面白そうである。
その他「文化は模倣によってなりたっている」のなら、著作権延長を望んだディズニーはいずれ自滅するのか。
「産業は模倣によってなりたっている」とすると、もしIBMが特許権延長を望むなら、それはIBMの自滅を意味するのか。
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