・「アスキーアートの法と慣習」―アスキーアートの権利関係についてのエントリー(別館「犬が目覚めた日」)

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2006年 10月 22日 ( 1 )

 

マナーとしての著作権

ゲド戦記:挿入歌の歌詞が朔太郎の詩と酷似-今日の話題:MSN毎日インタラクティブ

 自分は、「ゲド戦記」自体は決して好きじゃなかったけど(この曲は好き)、この問題はいろいろ面白いので書いておく。



法的にはどうか

 まず、今回は著作権云々の話らしいから、少ない知識ながら法的な話を書いてみる(金が無くて、図書館で借りてる著作権本もないことをご了承の上で)
 初めに、「こころ」の作者、萩原朔太郎氏は1942年に亡くなっている。だから、著作者死後50年に財産権が切れる日本の法律のもとでは、財産権(今回は翻案権)の問題は無い。だから、問題となるのは、人格権の方になる。
「著作者人格権』の保護期間」・・・・著作者の生存中(ただし、著作者の死後においても、原則として、著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない」(著作権法入門 文化庁編著)
 
具体的には、①同一性保持権の侵害になるか、②二次的著作物であるか、③二次的著作物だとしたら、あの「萩原朔太郎」の表記の仕方では、氏名表示権の侵害とならないか、があげれると思う。だぶね、たぶん。これ以上は、もう警察か遺族が裁判でも起こさないとこには答えは出ない思う。



マナー的にはどうか

 でも、正直、法的にどうかなんて、みんな気にしてないと思う。実際、裁判やるまで答えなんて出ないしね。ギコ猫騒動のときだってそうだったし。
【社会】 "作詞・宮崎吾朗" 映画「ゲド戦記」挿入歌「テルーの唄」の歌詞、萩原朔太郎の詩と酷似★2

42 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2006/10/21(土) 18:53:04 ID:KrqvHleP0
萩原朔太郎っていつ死んだの?
死後50年経ってれば無問題でしょ。

51 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2006/10/21(土) 18:55:58 ID:ylu0m7n80
>>42
1942年。
著作権が切れていたとしても著作権料が発生しないというだけであって、
パクリじゃないということにはならない。

 実際には、人格権云々もあるんだけど、結局のところマナーの問題だと思う。上記のレスでそう思った。つまり、「ゲド戦記の公式サイトで、『萩原朔太郎の詩「こころ」に着想を得た宮崎吾朗監督が作詞』という表記のもと(アマゾンでも同表記あり)、原詩を全文公開した上で、『原詩:萩原朔太郎』と表記しなかったのはマナー的にどう?」という問題。まあ、法的に黒となったら、マナーの評価も変わってくるからややこしいけど。。



自分の意見

 自分としては、マナー的にもOKだと思う。でも、根拠は「経験上」としか言えない。こんな意見、今までの個々人の経験によって、いくらでも変わってくるかね。言うなれば、マナーとして「老人がいたら席を譲る」ぐらいに一般化してないとも言える。
 こんな事件が沢山あれば、著作権に関するマナーも整備されると思うけど、おそらく2、3週間後には忘れ去られてると思う。そして、また問題が起こったら、議論→忘れる→議論→忘れる...を繰り返すと予想。

 では、こんなもんで。
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  by syakai21 | 2006-10-22 23:04 | 論評

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